【AI時代の生存戦略】仕事以外の「何か」で、自分だけのアイデンティティを再構築する
人間と生成AIの活躍
そろそろ仕事を奪われそうだなと思って生きている。
最終判断や仕事方針のすり合わせはまだ人間が進める必要があるが、すでに「それあと2, 3年でAIエージェントだけでよくなるかも?」みたいな仕事が目に見えて増えてきている。Chat GPTからの回答をなぞることまでしかできず、生成AIの代わりに手を動かす機械のような立ち位置の人間が身の回りにちらほら見かけるようになった。
もちろん自分もその例外ではなく、Claude CodeやCursorといったVibe Codingの社内での実用化により、(10年近く情報工学の領域に身を置いてきた自分でも)コーディングでは生成AIに勝つことはもう全くできない。業務で上がってくるコードレビューも量が膨大になり、レビューも生成AIがないと捌ききれない状況になっている。
直近1, 2年までは普通にバリバリとエンジニアとして働けていたのに、あっという間にお荷物になっていくサマを現在進行形で体感している。
2,3年後の仕事への影響予測
これからの時代、環境変化に目を向けずふわっと生きていると、ここ2, 3年程度で仕事時間の短縮に適応できなくなっていくだろう。今まで単純な業務を大量にこなすことで成果創出していた人は、AIエージェントによってその業務時間が一気に短縮されて別作業が増えることになり、いわゆる「元の仕事を奪われた」状態になる。
アサインされるだろう別の仕事も悠長に進めてはいられない。新しいタスクは、より高度な判断や創造性が求められる上に、一番最初に会得・効率化した人が独占する可能性があるためだ。新しいことを「人並み」ではなく「最初から人並み以上」の成果を出すことが求められるようになる。
これからは自分の仕事を他の人に奪われないように意図的に属人化させることでしか仕事をキープできず、占有できなかった人は窓際に飛ばされて、その窓からまたどこかへ飛ぶことになる。
仕事を奪われて恐れるべきは何か
でも、いわゆる仕事が奪われて困るのは「労働者でいれなくなること」にはないと自分は考えている。(そもそも日本企業は労働者を簡単に首にできない)
個人的に予想している、各個人に最も影響があると思ったのがアイデンティティの喪失である。
仕事を生きがいに捉え、プライベートは平穏ならばなんでもよいという人は少なくないだろう。
仕事が人生。仕事内容や会社内での肩書以外に自分を語ることがない人。
そういった人のアイデンティティが、生成AIの発展によって気づく間もなくあっという間に無意味なものとして崩れ去っていく。仕事内容こそが生きる意味だったのに、それに価値が無くなれば、当人にとって自己存在が否定されたといっても過言ではない。
仕事に依存していた人が、突然仕事の価値を奪われたときに、すぐに別のことに依存先を見つけるのは難しい。「仕事を奪われたとて別の仕事が舞い降りてくるから大丈夫」と思う人もいるだろうが、別の仕事もすぐに価値低下していってもおかしくない状況ではいささか楽観的なように感じる。
また「仕事内容や肩書」は組織から与えられたものに過ぎず、自分自身の内発的な興味や価値観とは必ずしも一致しないため、それがアイデンティティと捉えるのは自己理解が浅い状態と言ってよい(被雇用者前提)。 「仕事で何を成し遂げ、誰の役に立ったか」という部分にアイデンティティが無い人は、新たな仕事に慣れて存在価値を見い出すまでにモタついて負の連鎖に陥る可能性は高い。
生成AI時代に持っておくべきモノ
だからこそ、仕事以外のところに自分のアイデンティティを持つことが必須となってくるだろう。要するに仕事から別の領域に注力対象をずらし、趣味 / 社会貢献 / 人間関係 を主軸とした自己形成へと切り替わっていくことになる。
(趣味は運動・エンタメ・クリエイティブ・学習・情報発信など、人間関係は家族・友人などを想定)
だが、自分の深い興味や価値観と結びついていない、適当に手を出した趣味や社会貢献は長続きしづらいと予想される。 表面的な楽しさが薄れると継続する動機を失いやすく、飽きるたびに新しいものを探すのは気力的にも金銭的にも消耗してしまう。
それゆえに、簡単には崩されず長期的に向き合える「何か」を見つけることが一つの課題になりそうだ。
これは「自分が真に興味を持って行動できる領域」を知ることでもあり簡単に答えが出るものではない。
孫正義の言葉に「人生で登る山を決める」というものがあるが、以前までは「死ぬまでに大成したい人だけがやればよい」ものだった。
しかしAGIが何もかも奪い去る昨今では、「価値が低くなっても続けたいと思えること」 ≒ 「人生で登る山」を心の中で抱きつづけられるかが求められる。大層な人生を送るつもりがなくても、自己保全のために誰もが考えなければならない時代がやってくる。
こわ。
個人的に思う「何か」の見つけ方
個人的な話で恐縮だが、自分はようやく最近この対象を絞ることができてきた。「四六時中考えていたい」感覚にピンときたのは、27年間生きてきて初めての感覚である。
この「何か」の発見には、自分の場合は読書量を増やしたことが貢献していた。
本棚を見るとその人の脳内がわかると言われるが、この逆順に「自分を知るために本棚を満たしていく」ことをやったと言える。
書斎のある部屋で休日を過ごすという小さな夢がある私は、当初インテリアにする目的で本を読みつつ買い漁っていた。
最初の3か月は名著と呼ばれるビジネス書を選んでいたが、似通った内容の名著は量を読めば飽きていく。
読書を月6冊のペースで半年・1年と続けるにつれて、対象は自身の興味のある分野へと無意識にシフトしていき、いくつかのジャンルに分類するためには十分な量が本棚に溜まっていた。
ここまでくると、自己理解を深めるためのパーツは集まったと言える。
本棚にあるのは、お金や時間や脳のリソースを払ってまで欲しがった情報が何かを示す、何よりの証拠である。
本棚を見ながら「なぜこの本やその内容に惹かれたのか」と共通点を探したり、過去の経験と抽象的に同じ部分を結びつけていき、自分を見つめなおしていく。
これで自分にとっての「何か」がわかってくる。
そしてその「何か」に関連する行動を増やして興味関心の深堀りをしたり誤解に気づくことを通じて、ようやく「アイデンティティ」の発見へとたどり着くのだろう。
おわりに
生成AIに生きる意味を奪われてゆっくりと廃人になっていく前に、自身のアイデンティティを固める努力をこれからも続けていきたい。
【手作りパペット】大人の夏休みの自由工作【写真多め】
今週末は12時間くらいかけてパペットを作っていました。
個人用なので、その場で思いついた手順を、場当たり的で臨機応変に製作を進めました。
過去に作り方の動画を見た記憶をたどって適当に作り上げたので、手戻りは多少発生していますが、なんだかんだ自分の直感は信用できるようでした。
まずは完成品から。
youtu.be
おおまかな形を想定する


表からは見えないんだけどね。

必要な布の横幅がおおまかに決まる


実際には、写真よりも頭の布(左側)を多く確保したほうが安心
口をつける




その後、口のフェルト部分と体部分を縫い合わせる

このときに頭部をどう縫えば良さそうか必死に考える。



頭部を作る
※ このあたりから、計画性の無さを適当なつぎはぎでバックアップするような作業が増える

このあたりから「待針で怪我しない仮縫いできると便利そうだぞ!」と気づく。

頭をセンターで縦に切り裂きながら
上あごの縫合の仕方を更新する。

今週買った推しの缶バッチが裁縫にちょうど便利で嬉しい瞬間。

デコる


おわりに
既存のsock puppetは、使用済み靴下をもとにつくっていたので、おんぼろの印象がありました。 今回、新品の布を使っている時点で超綺麗になっているので大満足です。
腕をつけるのは面倒で
(生地ベースに1から作ったのは)1つ目で、割と作り方の勘所がわかったので、やってみて良かったなと思います。パペットロボット用のパペットグローブの規格をつくりたいので、今後もう1・2回は作ることになりそうです。
それまでに裁縫の技術を高めたいなぁ。
20代で固定される価値観について考える
『人生は20代で決まる』という本がある。この本が広めた「価値観や人格は20代でほぼ固定され、その後は変わりにくい」という説は、一種の定説として僕たちの間に漂っている。 先日会った友人も、この定説に縛られていた。「最近、新しい音楽を聴いてもピンとこない」「夢中になれる趣味が見つからない」と、まるで30代以降の人生が色褪せてしまうかのような不安を口にしていた。 多くの人は、この「固定される価値観」を、好きな音楽のジャンルや趣味といった、具体的な「好み」のことだと捉えているだろう。しかし、問題の本質はもっと根深いところにあるのではないか。 私が考える「固定される価値観」とは、物事の捉え方や判断基準となる「概念」、他人との関わり方を決める「人格」、そして人生の進め方そのものである「生き方」のことだ。もしこれらが20代で固まってしまうのだとしたら、事態は友人のお悩みよりもずっと深刻だ。それはまるで、20代で手に入れた数枚のカードだけで、残りの数十年のゲームを戦い抜けと言われているようなものだからだ。 では、その「概念・人格・生き方」とは具体的にどのようなものか。 「概念」の固定化 「人格」の固定化 「生き方」の固定化 「生き方の手札」は、人生を良くも悪くも大きく左右する。アインシュタインは「複利は人類最大の発明だ」と言ったが、その力はマイナスにも働く。 例えば、「聞き慣れない音楽はすぐに飛ばす」という手札を持ち続ければ、新しい音楽との出会いは永遠に訪れない。一方で、「聞き慣れない音楽こそ5回は聴いてみる」という手札を持てば、好きな音楽の世界が際限なく広がっていく可能性がある。 悪い手札は負の複利を生み、良い手札は正の複利を生む。30代以降の人生を豊かにするためには、この「生き方の手札」を意識的に増やし、より良いものに選び直していく必要がある。 しかし、ここには「自分に足りない手札は、その存在すら認知できない」という大きな壁が立ちはだかる。 面白いことに、僕たちは他人の「生き方」は驚くほど簡単に見抜ける。社会的な生き物として、周囲の人間の行動を予測し、自分の利益を守るために、無意識に他人を観察しているからだ。 一方で、自分自身の「生き方」を把握するのは極めて難しい。多くの人が「客観視は得意だ」と言うが、そのほとんどは「自分の行動が、自分の持つ常識と合っているか」をチェックしているにすぎない。もし、その「常識」自体が偏っていたとしたら?その客観視は、なんの意味もなさないだろう。 例えば、こんな話がある。 学生時代の節約癖が抜けず、「5000円のディナーは最高級」という常識を持つAくん。初めてできた彼女との記念日に、彼が選んだのは5000円のしゃぶしゃぶチェーン店だった。彼なりに「気負わない範囲で最高の選択」をしたつもりだった。しかし、彼女が本当に望んでいたのは、夜景の見える2万円のレストランでの特別な時間だったかもしれない。この「常識」のズレに気づけなかったAくんは、その後すぐに彼女に振られてしまった。 Aくんがこの失敗を乗り越えるには、「パートナーとの時間は節約より尊い」という新しい価値観、つまり新しい「手札」を手に入れる必要があったのだ。 では、どうすれば自分では認識しづらい「生き方の手札」を増やしていけるのか。浅い客観視ではなく、人生をより良くするためのアプローチが必要だ。 知る:他人の「手札」を観察する 疑う:自分の「手札」を仮説する 見つめる:自分の「理想」を言語化する 試す:新しい「手札」を使ってみる このサイクルを繰り返すことで、自分の「常識」という名の呪いを解き、人生の目標達成に近づくための最適な手札を見つけ出し、増やしていくことができるはずだ。 「20代で受け入れられた概念・人格・生き方が、その後の価値観を固定する」という仮説から、これからの生き方を考えてみた。 価値観の固定化は、脳の仕組み上、ある程度は避けられないのかもしれない。しかし、それが悪い形で人生に影響を及ぼさないように、戦略的に対策することはできる。その戦略こそが、意識的に「人生の手札」を増やし続けることだ。 長年「起業したい」と言い続けている私自身、まさに「失敗が怖い」という手札に縛られ、新しい一歩を踏み出せないでいる。この記事を書きながら、まずは自分がどんな常識に囚われているのかを自覚することから始めなければならないと、改めて痛感している。これは、あなたへ向けた手紙であり、同時に私自身への檄文でもあるのだ。 2024年の年末に大学の友達に会ったとき、彼が「人間は20代に見聞きしたものしか受け入れられなくなる」といった話で弱気になっていたのが気になっていました。大事な友達が悩んでいるその定説について、個人的に思うことがあったので勢いで殴って放置した文章があったのですが、それをGemini 2.5 Proに投げてブログ化してもらったのが今回です。 一部手を加えていますが、自分よりもいい文書でまとめてくれるのでちょっと嫉妬してしまいますね。
はじめに:20代で人生は「決まる」のか?
あなたを縛る「見えない価値観」の正体
これは、「オンラインで運命の人に出会えるわけがない」「ワクチンは体に悪い」「タイムパフォーマンスが最も重要だ」といった、思考の前提となる思い込みに近い。20代までに触れてこなかった新しい考え方やテクノロジーに対して、無意識に壁を作ってしまう状態だ。
これは、「嘘をつく人間は絶対に許せない」「嫌いな相手をこき下ろすことに躊躇しない」「他人の喜びを自分のことのように感じられる」といった、人や社会との関わり方のスタンスを指す。年を重ねて多様な人に出会うことで多少は柔軟になるものの、根本的な部分はなかなか変わらない。
これが最も厄介だ。「やりたいことは全部やるべきだ」「目的のためなら手段は選ばない」「安定が一番。波風立てず静かに暮らす」など、人生における行動戦略そのものを指す。一度定着した生き方は、自分では意識しづらく、変えるのが非常に難しい。僕たちは、20代までに獲得した「生き方の手札」だけで、今後の人生を戦っていくことになるのかもしれないのだ。人生の手札を増やす、ということ
なぜ自分の「手札」は見えないのか?
新しい手札を手に入れるための4つのステップ
まずは、本や人との対話を通じて、自分が知らない多様な生き方(手札)が存在することを知る。自分の常識がいかに狭い世界のものだったかを痛感することが出発点だ。
次に、「自分はどんな手札を持っているだろうか?」と自問する。「自分は〇〇を重視する生き方をしている」「自分は△△な場面で□□しがちだ」というように、自分の行動パターンを仮説として立ててみる。
自分が何に幸せを感じ、何を人生の目標としたいのかを深く考える。「どんな生き方に憧れるか」「どんな状態が理想か」を言語化することで、これから集めるべき手札の方向性が定まる。
準備ができたら、日常の中で意識的に新しい行動を試してみる。憧れの人の生き方を真似てみる。今までなら絶対に選ばなかった選択肢を、一度だけでいいから選んでみる。おわりに
本当のおわりに
ではまた。(参考)Geminiに投げたプロンプト
あなたは電子工作やエッセイ、思想共有に特化したブログ評論家で、読者にとって読みやすく理解しやすく、かつ固い内容でも楽しめるような文章へと添削する専門家です。
以下の文章は「人生は20代で決まる」という書籍にある「価値観やパーソナリティは20代でほぼ固定され、その後は変わりにくくなる」という内容をもとに、視座を拡張して述べた文章です。
文章はだ・である調で書いてください。仮タイトルは「手札を増やして30代以降の価値観の固定を防ぐ」なので、その結論に至るように文章をmarkdownで作成してください。
人生の手札を増やす というワードに好感を覚えているので、それはトピックとして必ず盛り込んでください。
長すぎて途中までしか出力できない場合は、(続く)と最後に付与してください。
---------------
## はじめに
- 『人生は20代で決まる』という書籍をベースに「20代に見聞きしたものしか受け入れられない」という価値観の固定化の定説がある。
年末に会った友達が、この定説をもとに「趣味がない」とか「新しい音楽に興味を持てない」だとか将来への不安に悩んでいたので、それを1つの仮説をベースにした考え方で解消したい。
一般的にこの固定される価値観は、20代までに触れた具体的なジャンルや行為(ジャンル:jpop/洋楽など, 行為:楽器趣味/スポーツなど)のようなことをだと捉えられていそうだ。
それに対し私は、20代までに受け入れられた「概念・人格・生き方」が固定化される価値観なのではないかと仮定する。
(そうなった場合より事態は深刻だ)
## 固定化の例
- **概念**の例でいうと、「自宅内非対面でものごとを進めることにより様々な業務改善が図れる」という意見や、「オンラインで人生を変えうる運命の人に出会える」「ボカロ/ペットロボット/xxワクチン/タイパ...」というようなことに似ている。
- **人格**の例でいうと、「嘘や不正による利己的な行為しかできない人を許容できない」、「嫌いな相手の人格否定をすることを一切いとわない」「周囲の人の喜びが自分の喜びだ」みたいなことを想定している(うまく生き方との差分を表せない...)。
- **生き方**の例でいうと、「やりたいこと全部やる!大学院飛び級したから空いた時間で調理師免許とったり、医工学に関係ない仕事する!」という生き方や、「行きたい会社に入るためだったら、SPIを別の得意な人にやってもらってもいいよね」な生き方、「何よりも精神の安定を取り、会社での出世を望まず浪費を避けて1人で生きる」という生き方など。20代で嫌い/好きだった人を、今後数十年かけたとして許容できるようになるとは思えないが、全く知らない生き方に遭遇したり、嫌いな生き方の人でも様々な面で捉えることで認識を変えられるかもしれない。
## 固定化しないために
### 新しい概念を受け入れる
これは20代以前に類似の経験・許容を多くしていかない限り、年を取ってからから凝り固まった考えになりやすくなるのではないか。ただし、実際に体験してみることで、意外と受け入れられることのように思える。
### 新しい人格を受け入れる
これは年を重ねるたびに、そういった人が沢山いると知って慣れに繋がったり、似た生き方を自身が偶然取ったときに認識が変わったりするなどがありえそうだ。20代で多くの人に出会うことがこの許容の狭まりを抑えるための行動と言える。年を重ねるにつれて新しい人格と触れ合う機会が必然的に増えるため、ある程度簡単に柔軟に変えていける価値観だと考えている。
### 新しい生き方を受け入れる
- 様々な生き方を許容していくことについて、一番懸念したいことが「自分の生き方」は理解しづらく変えづらいことである。今、20代ですら自分の生き方は変えづらいと感じているのだから、30代以降はより難しくなるに違いない。20代までに獲得してきた「生き方の手札」のみで今後数十年を生きていく必要があるかもしれないのだ。
- 持ち続ける手札によっては、人生を良いほうにも悪いほうにもスケールさせてしまう。アインシュタインが「複利は人生最大の発明だ」という言葉を残したが、その絶大な複利の効果はもちろんマイナスにも働きうる。
- ネガティブな影響がある手札
- 「形からでもとりあえず試す → 数うちゃの考えがそのまま永遠に続く」
- 「業務を終わらせる手段は残業のみ → おじさん体力になり業務が終わらない」
- 「いかに大事なものでも貧乏性を発揮する → パートナーとの時間をお金で買えない」
- 「聞きなれないジャンルの音楽が流れたらすぐに飛ばす → 好きな音楽の幅が広がらない」
- ポジティブな影響がある手札
- 「形からでもとりあえず試し、新しい友達に状況共有する → 監視がいるので取り組みが続きやすい」
- 「業務を終わらせる手段は効率化 → 効率化経験の蓄積で業務がどんどん楽に」
- 「貧乏性の閾値と判断軸を設ける → 大切をお金で買える」
- 「聞きなれないジャンルの音楽は5回繰り返し聞いてみる → 好きな音楽の幅が広がりうる」
- 生き方を間違うことでの複利の悪影響を避けるために「生き方の手札」を増やしてよいものを残したいが、そのためにはたった一度でもいいから自分の生き方の枠をはみ出して新しい経験することが有効だろう。では、自分がまだ持っていない「新しい生き方の手札」をどう選んで増やしていけばよいか。ここにも、「自分に不足している手札は存在すら認知しづらい」という難点がある。まず、前提として他人の生き方は認識・観察・理解しやすい。自分に得があるように・不用意な被害を避けて生活するためには、周囲の人間の行動予測ができるかが関わってくるので、無意識的に他人の生き方を観察している。社会性のある生き物の進化過程で、他人がどんな生き方をしているかは簡単に見抜くことができる。
- それに対し、自分自身の生き方を把握するには、非常に集中した状態で自分を客観視する必要がある。世間では客観視が簡単なスキルのように扱われているが、それはあくまで「場面と自分の行動を事実として捉え、その人が持つ常識と合致する行動かを論理的に捉える」までを指しているだろう。この点において、もし「常識と思っていたものが実は偏見である状態」で見てしまえば、その客観視の解釈は大間違いとなってしまう。自分の人生の手札を認識するためには、まず自分の常識を疑うことをしなければならない。しかし常識にあらがうことは現状維持バイアスが働くため困難であり、その結果、自分を雑に見直すことでは新たな生き方を発見できることは稀である。
- 要するに浅い客観視では、自分の生き方の認識に不足や異常があったとしても気づきづらい。自己理解のための客観視をするならば「事実や課題に対し、自分の常識との照らし合わせをすること」ではなく、「事実や課題に対し、人生で最大化したい目標に向けて、今までに見聞きした全ての生き方の中でも最も使いたい手札を選ぶこと」というアプローチがよさそうに思う。過去に見聞きしたモノにそのヒントは隠されているはずだし、たとえ常識・手札を勘違いしていたとしても試行錯誤の仮定で人生の目標へと近づいていけるからだ。
- これをするためには、他人の生き方・自分の生き方だけでなく、自分の報酬体系や理想を認識していなければ始められない。
- 人との対面や本で他人の生き方を知ること。
- 自分がどんな生き方の手札を持っているか仮説すること。
- 自分が何に対して幸福感を覚えるか、どんな優先度で考えるかを仮説すること。
- 自分がどんな生き方に憧れるかを仮説すること。
- この事前準備ができたら、じっくり時間をかけて日常的に客観視を繰り返し、実践に移してみる。ときに仮説を微修正しながら、自己理解を深める。こうすることで、新たな「生き方の手札」を見つけ出し、それを増やすアプローチを取れるようになるのでは無いだろうか。
- ※ ずれた常識で最適な生き方に気づけない例
- 今まで牛肉すら1年に数回しか買わなかった貧乏性のTくんが、初めてできた彼女とどこに行くかを考えている。目的は記念日のデートにて、良いディナーの思い出を作ること。Tくんは、今でこそ人より多くの給料をもらっているが、学生時代の節約癖が抜けず「貧乏性なぐらいのほうがいい」とさえ思っている。外食に行って2500円以上の会計をするたび、内心「ずいぶん金持ちになったものだ...」などと考えるような人間だ。
- そんなTくんが彼女との記念日デートのディナーとして導き出した答えは、5000円のしゃぶしゃぶチェーン店である。人生で最も高額だった外食費10000円/1人を比較対象に、「引かれず奢られても気負わないくらい」の額を常識的に考慮した結果だった。このデートの数週間後、Tくんは別れたいと告げられ、初彼女と楽しい日々は100均のラップのように短く薄く終わっていった。
- 本来であれば、綺麗な夜景が見える2万円を越えるディナーが、彼女にとってもTくんの願望を最大限に満たす答えだった。Tくんが出会った中で、一番女性扱いがうまいY先輩ならそうしていた。ただTくんがその答えにたどり着くには、パートナーと過ごす時間が節約を無視できるほどに重要だとまだ知らなかったことと、5000円のディナーが高価であるという常識のずれに気づく必要があった。
## おわりに
仮定:20代までに受け入れられた「概念・人格・生き方」が固定化される価値観なのではないか
仮説をベースに、残り少ない20代をどうやって生きるべきかを考えた。
20代で価値観の固定化をすることは脳の仕組み的に避けられないが、将来それが尾を引かないように鈍化するような方向で戦略的に対策することはできるかもしれない。
20歳くらいから、ずっと起業をしたいと再三繰り返している私だが、まさに人生の手札をビビッて増やせない状況だと言ってよい。
これには何か踏み出せないボトルネックがあると考えたいが、自分がどんな常識を持っているかすらまだ自認できていない。
社会に出ても必要な科目は何か。豊かさの6要素から逆順に考える。
ここ最近SNSを見ていてつい気になってしまうトピックがあった。
大人視点では当たり前のことだが、あまり言語化されていない部分を言語化していく。
news.jp
タイパ大好き人間の皆さん:途中に1枚の図があるので、それを見たら何となく言いたいことがわかるはず。
個人的な背景
私は小学生の頃から理科大好きっ子で、労働者になってからも趣味で電子工作をしているような人間だ。
我々の立場としては、「うぉおおおおなんだこの現象はっ!!!科学は楽しいぞおぉぉぉ!!!」というような、理科そのものを楽しむことそのものが目的(役に立つ理由)となっていることもあり、そこに必要性を感じるのは当然のことである。(後述の③)
そのため理科を贔屓目に見たい立場であるが、"高校物理や化学" が実生活に直接役立ったか(自分が活用する場面があったか)を振り返ると正直微妙なところである。世に科学技術無しにして成しえないことは数あれど、実際に研究・開発する当事者でない人にとっては必要性の薄いものと感じられて仕方がないと思う。
その理科に対し、国語や社会について僕は学生時代に随分と苦労していた。
社会人となり、リモートワークで人と文章ベースでコミュニケーションしたり、政治的な不利益を受けないよう時事的なニュースに着目するような場面では、
「学生時代にもっと文系科目も勉強していれば...」なんて思うこともしばしばある。
事実、その課題感から社会人になって言語化の方法論や地政学や経済学の本などを、わざわざ休日に読んで勉強する羽目になっている(それも楽しくてやっているのだが)。
そんなバックグラウンドがあるので、工学修士を持つような私でも「理科は必要」だとは簡単には述べられない。
理系科目・文系科目について局所的に見て必要/不必要を整理することは可能だが、偏見に基づいた551のCMになってしまうだけなので、
アプローチを変えて「大人になって感じた、楽しく生きるために重要な要素」から逆順に見て各科目の必要性を考察する。
あくまで5分でベースを考えた話なので、重箱の隅を見逃す優しい目で見てほしい。
楽しく生きるための要素
大人になってみて、個人的には「不幸なこと少なめで楽しく生きられたらそれでええやん♪」という気持ちで生活を送っている。
かなりシンプルな考え方だが、生きていれば様々な問題に直面してあっという間に不安の種が増えていくものだ。
例えば、27歳独身男性である筆者は最近こんなことで悩んでいた。
- 日曜日:Nintendo Switch2 よりも高価な眼鏡を購入しビビる。
- 月曜日:前日の夜更かしで寝不足に陥り、仕事のパフォーマンスが激落ちして同僚に迷惑をかけた。
- 火曜日:参院選前の党首討論の動画を見て「どの政党も全部おんなじ公約に聞こえるわ」と、特定の政党への興味が生まれない。
- 水曜日:仕事で認証周りの業務が全く分からず、頼りの網も忙しく自己解決できず頭を抱える。間に合わん。。。
- 木曜日:技術イベント出展の落選通知があり、自分のアイデンティティが突然陳腐なものに見えてやる気をなくす。
- 金曜日:明後日会うマッチングアプリの女の子となに話そう、緊張する。。。
これらの悩みは、これから述べる「人生を豊かにする6つの要素」が欠落したために起こったものだ。
■ 人生を豊かにする6つの要素
(※ 個人で考えた項目をベースに、GeminiにMECEに分類してもらったもの)
(※ 独自に定義したもので特定のフレームワークに沿うものではない)
- 経済的な安定
現在の生活を維持し、将来の不安なく過ごせるだけの経済的基盤。 - 心身の健康
睡眠、食事、定期的な運動といった身体的な健康と、ストレス管理やポジティブさといった精神的な健康。 - 興味関心と深化
趣味や身近な出来事に興味関心を持ち、疑問を抱き、自ら学び、解決できる。 - 仕事の達成
能力を発揮して業務を遂行でき、その仕事が何かの役に立っている。 - 自己理解
自分がどんな人間か、自分がどう生きたいか、どう振舞えば満足するかを把握している。 - 良好な人間関係
家族、友人、職場の同僚など、望んだ意思疎通ができる関係性を構築できる。
この6要素が満たされるほど、日常生活を楽しく難易度を下げていくことができると考えられる。
逆に言えば、この6要素を自分のスキルセットのみでコントロールできれば、「不幸なこと少なめで楽しく生きられたらそれでええやん♪」が達成できる可能性が高まる。
6要素から科目の重要性を逆算する
では人生を豊かにする6要素ではどのような力が必要になるか、それを鍛える科目は何にあたるかを整理しよう。
筆者偏見に基づくと、例えば、「経済的な安定」では下記の能力がベースとなる。
- 未来予想・計画性
- 周辺課題の理解力(時事問題の解釈)
- 数理的思考力
この3つを学生時代の各科目に紐づけたのが下記だ。
社会が基礎だが、数学や理科などが付随していることに気づくだろう。
- 未来予想・計画性
- 理科(論理的思考)
- 歴史 = 社会(未来予測)
- 統計 = 理科(無理のない目標設定)
- 周辺課題の理解力
- 地政学 = 社会
- 公民 = 社会
- 国語
- 数理的思考力
- 数学
- 家庭科(金銭感覚)
このようにして6要素について図示したものを共有する。

どの科目に対しても矢印が向かっており、すべての科目で鍛えられる能力が将来の人生において役立つものだと解釈できる。
※ 独自に定義したもので特定のフレームワークに沿うものではない
※ 恣意的な接続をしたのだろうと穿った目で見ないでほしい
結局、理科は必要ないのか
本題に戻り、図の理科に接続されている部分を見てみよう。
理科には「医学的知識」「未来予想・計画性」「論理的思考力」が紐づいていることがわかる。
これらの項目を理科の授業で直接的に学ぶことはできないが、生物学的知識や推論能力や仮説検証能力は授業や実験をする過程で鍛わる部分だ。
3つの項目を必要としない職種に務める人、かつ、理系の専門職でない場合に、理科を学ぶ必要はないと考えられる。
※ ただし注意されたいのは、「一般教養・専門知識」も理科に紐づくことである。
「一般教養・専門知識」の有無があらゆる能力を強化するものであり、能力発揮のキッカケになるものでもあるため軽視はできない。
③興味関心と深化 との関連性も強く、教養がなければ享受できるエンタメの範囲が狭まってしまう。
万博で自律ロボットを見て「科学ってすげぇ!!!」と、理科そのものを楽しむことを目的にできるのは教養あってこそだ。
あなたにはどの科目が必要なのか
「どの科目も必要だよ!!!」 だと腑に落ちない人もいるかと思うので、これを読んでいる皆さんが解釈して私生活に落とし込めるよう説明を加える。
努力不要で最低限満たされる日本社会
日本社会は、雇用者が守られており、社会保障制度が充実しており、エンタメも過分にあり、高度なサービスへアクセスしやすい状態にある。
そのため、6要素はすべて能動的に求めなかったとしても最低限生きていける時代となっている。
- 経済的な安定 :生活保護があるので死ぬことはない
- 心身の健康:他国に比べて医療費が安く・医療技術が高い
- 興味関心と深化:SNSを見ていれば刺激的な情報で満たされる
- 仕事の達成:仕事しなくても生きられるし、静かな退職もできる
- 自己理解:自分のことがわからない人が大半
- 良好な人間関係:直接人に会わなくても生活できる時代
これらの最低限の生活は保障されているので、極論、豊かさを求めないのであればあらゆる科目は勉強せずとも生きられる。
この科目を優先しよう
6要素の重要性の比重を独自に設定してみると、どの科目が将来必要になるかが導き出せる。
例えば自分の優先度付けは下記のようになる。
「経済的な安定 > 興味関心と深化 = 自己理解 > 良好な人間関係 > 心身の健康 > 仕事の達成」
この順列top1と図を参考に考えると、自分が優先的に勉強すべきなのは「国語」「数学」「理科」「社会」「技術」あたりだとわかる。
ここからさらに優先度を自分でつけてみると、自分の最も欠けた知識がどれかわかるかもしれない。
※ 各要素は互いに独立でないので、例えば経済課題を解決するために仕事の優先度が高まったり、貯金が増えたら優先度が変わることもある。
(ちなみに、top3まで豊かさを広げるとほぼ全科目が必要だった)
(結局、何か欲張って複数の面で生活を豊かにしようと考えると、あらゆる科目で能力を鍛える必要がある。)
おわりに
どれか不要な科目が出てくるだろうと踏んで図示したが、意外にもすべての強化が豊かさの要素に紐づいて驚いた。
「不幸なこと少なめで楽しく生きられたらそれでええやん♪」で生きることはバランスよく豊かさの6要素を満たすことであり、満遍ない勉強が求められる。
とはいえ自分が将来どんな面で最も豊かになりたいか優先度付けをすれば、おのずと勉強すべき科目が明らかになる。 だからこそ、学校では実生活との科目の関連付けをして、内発的動機で各科目を勉強したくなる仕組みづくりをすることが大事に思えた。 例えば「エスニック料理を知らない人に、たくさんのスパイスの味を事細かに紹介」したところでスパイスを使いこなせず勉強する気も起らないが、実際にエスニック料理を食べてもらい「さっき食べてもらったネパール料理の味を再現するためにこのスパイスが使えるよ」と実生活と紐づけて説明すれば、学ぶモチベーションに繋がる。
せっかくSNSが発展して、子どもが大人の世界を簡単に覗き見られる時代になったので、
みっともない叩き合いの姿を見せるのではなく、「勉強したことが将来に直接こんな場面で活きている」と伝わるような投稿が増えるとよい世の中になりそうだ。
ロッドパペットの高い表現力を理系的に考察する
はじめに
前の記事でパペットの4つの特性について持論を述べましたが、そのうち「高い表現力」についてもう少し深掘ってみようと思います。
FYI:
- 高い表現力
- 非常に身近な存在
- 1個体として認識可能
- 無機物でありながら言葉で喋ることが自然
対象とするパペットのジャンル
パペットには様々なジャンルがありますが、今回は僕の大好きなパペットスンスンもその1種である「ロッドパペット」を対象に考えます。 理由としては、一般人が手を出せるもののうち一番表現力が高そうだからです。
参考程度にパペットの関連ジャンルを下記に列挙しておきます。
- マリオネット:いわゆる糸操り人形のこと
- ハンドパペット・グローブパペット:グローブ上の人形に手を入れて動かす方法。腕があるものは、親指と小指などでそれを操作する。
- ソックパペット:靴下でハンドパペットすること
- ロッドパペット:グローブ上の人形に手を入れて動かす。腕には2つのロッド(棒)がついており、人形とは反対の腕でそのロッドを操作する。
- 素手パペット(bare hand puppet, eye finger puppet):人形をつけずに素手でパペットの口を再現する。このとき、目だけを別途用意することもある。練習用。
- その他:シャドウパペット、文楽人形、フィンガーパペットなど...
これらの表現力の順列は下記のような感じだと思います。
マリオネット ≒ ロッドパペット > ハンドパペット > ソックパペット > 素手パペット > ぬいぐるみ
ロッドパペットの動かせる部分
ロッドパペットではどこを動かせるかですが、下記の要素がある程度自由にできる部位になります。
他にあるかもしれませんが、パッと思いついた限りでも大量の項目があります。

- 口の開閉速度
- 上顎の角度
- 下顎の角度
- 上顎の出方(喋る勢いをつける指関節の動き(海外の動画だとpunchと説明される動き))
- 目線
- 首の前後左右
- 首のひねり(かしげるための方向)
- 眼球(google eyeを使った場合)
- 体の角度
- 体の向き
- 体の位置(3次元全方向)
- 手の位置 x 2本(3次元全方向)
- 手の角度 x 2本(同時に腕の曲がり方も)
- モノの把持
これらで列挙した項目を見るだけでも、明らかに高い表現が実現できることを読み取れるかと思います。
これだけ対象の動作箇所があるので、パペットをよりうまく動かすためのテクニックは色々あるようです。
例えば横にあるものを見るときは首をかしげるとリアルだとか、喋るときは下顎を動かすほうがナチュラルだとか、喋り方にパンチを入れると勢いが増すとか。
動かし方の説明動画を見ると、これらの動作部位はどれも簡単には単純化できないもののように思えます。
youtu.be
(このおじさん優しそうで好き)
動きを機械的に実現するには
上記の機能を徹底的にロボットで再現しようとするとどれだけのアクチュエータが必要なのかですが、学生時代に習った運動学の模倣図を用いて示してみるとおおかた下記図のようになると思われます。
(まだまだロッド部分の角度的な要素が不足している感)
(直動部分のz軸方向の書き方完全に忘れた...)

図の内容をそのまま信じるとすると、ロッドパペットの動きを再現するために合計18個のアクチュエータが必要だと言えます。
仮に実際の機械だとしてこれだけ多くのアクチュエータが使われていると考えると、ロッドパペットには非常に高い表現力があることをよく理解できるかと思います。
ただ本当に機械的に製作する場合、パワフルで熱を持たない大量のアクチュエータを小さな体に埋め込む必要があり、小型化は結構難しそうです。
また、これだけの駆動可能部分があれば、制御もかなり面倒くさそうで悩ましいです。
おわりに
もともと機械的に実現できないかと考えて図示してみたものなのですが、パペットの表現力の理由を知るとともに、
人間の手腕というアクチュエータの精工で小型で多機能な代物にはやはり驚くべきものを感じました。
それなりに単純化した上での図示だったので、実際の指本数や関節数や人間の下半身の動きまで追加で考えることもできます。
そうすると人間というものが制御工学的には非常に自由度と冗長性の高い構造で、さらに静音性や即応性の面でもかなり優れているので、
パペットを動かす上で機械では簡単に真似できないような性質があると感じられました。
ただし実際は人間の関節は角度や長さなどの制約があるものですから、表現力を削ったり複数軸の動きをマージするなど機構を工夫することにより少ないアクチュエータで似た動きを表現できる可能性もあります。
今後、自分はそれらを再現できるように実際に機械化を試みて開発していこうと考えているので、興味のある方は続報をお待ちいただければと思います。