机上の空論主義者

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20代で固定される価値観について考える

はじめに:20代で人生は「決まる」のか?

『人生は20代で決まる』という本がある。この本が広めた「価値観や人格は20代でほぼ固定され、その後は変わりにくい」という説は、一種の定説として僕たちの間に漂っている。

先日会った友人も、この定説に縛られていた。「最近、新しい音楽を聴いてもピンとこない」「夢中になれる趣味が見つからない」と、まるで30代以降の人生が色褪せてしまうかのような不安を口にしていた。

多くの人は、この「固定される価値観」を、好きな音楽のジャンルや趣味といった、具体的な「好み」のことだと捉えているだろう。しかし、問題の本質はもっと根深いところにあるのではないか。

私が考える「固定される価値観」とは、物事の捉え方や判断基準となる「概念」、他人との関わり方を決める「人格」、そして人生の進め方そのものである「生き方」のことだ。もしこれらが20代で固まってしまうのだとしたら、事態は友人のお悩みよりもずっと深刻だ。それはまるで、20代で手に入れた数枚のカードだけで、残りの数十年のゲームを戦い抜けと言われているようなものだからだ。


あなたを縛る「見えない価値観」の正体

では、その「概念・人格・生き方」とは具体的にどのようなものか。

  • 「概念」の固定化
    これは、「オンラインで運命の人に出会えるわけがない」「ワクチンは体に悪い」「タイムパフォーマンスが最も重要だ」といった、思考の前提となる思い込みに近い。20代までに触れてこなかった新しい考え方やテクノロジーに対して、無意識に壁を作ってしまう状態だ。

  • 「人格」の固定化
    これは、「嘘をつく人間は絶対に許せない」「嫌いな相手をこき下ろすことに躊躇しない」「他人の喜びを自分のことのように感じられる」といった、人や社会との関わり方のスタンスを指す。年を重ねて多様な人に出会うことで多少は柔軟になるものの、根本的な部分はなかなか変わらない。

  • 「生き方」の固定化
    これが最も厄介だ。「やりたいことは全部やるべきだ」「目的のためなら手段は選ばない」「安定が一番。波風立てず静かに暮らす」など、人生における行動戦略そのものを指す。一度定着した生き方は、自分では意識しづらく、変えるのが非常に難しい。僕たちは、20代までに獲得した「生き方の手札」だけで、今後の人生を戦っていくことになるのかもしれないのだ。


人生の手札を増やす、ということ

「生き方の手札」は、人生を良くも悪くも大きく左右する。アインシュタインは「複利は人類最大の発明だ」と言ったが、その力はマイナスにも働く。

例えば、「聞き慣れない音楽はすぐに飛ばす」という手札を持ち続ければ、新しい音楽との出会いは永遠に訪れない。一方で、「聞き慣れない音楽こそ5回は聴いてみる」という手札を持てば、好きな音楽の世界が際限なく広がっていく可能性がある。

悪い手札は負の複利を生み、良い手札は正の複利を生む。30代以降の人生を豊かにするためには、この「生き方の手札」を意識的に増やし、より良いものに選び直していく必要がある。

しかし、ここには「自分に足りない手札は、その存在すら認知できない」という大きな壁が立ちはだかる。

なぜ自分の「手札」は見えないのか?

面白いことに、僕たちは他人の「生き方」は驚くほど簡単に見抜ける。社会的な生き物として、周囲の人間の行動を予測し、自分の利益を守るために、無意識に他人を観察しているからだ。

一方で、自分自身の「生き方」を把握するのは極めて難しい。多くの人が「客観視は得意だ」と言うが、そのほとんどは「自分の行動が、自分の持つ常識と合っているか」をチェックしているにすぎない。もし、その「常識」自体が偏っていたとしたら?その客観視は、なんの意味もなさないだろう。

例えば、こんな話がある。

学生時代の節約癖が抜けず、「5000円のディナーは最高級」という常識を持つAくん。初めてできた彼女との記念日に、彼が選んだのは5000円のしゃぶしゃぶチェーン店だった。彼なりに「気負わない範囲で最高の選択」をしたつもりだった。しかし、彼女が本当に望んでいたのは、夜景の見える2万円のレストランでの特別な時間だったかもしれない。この「常識」のズレに気づけなかったAくんは、その後すぐに彼女に振られてしまった。

Aくんがこの失敗を乗り越えるには、「パートナーとの時間は節約より尊い」という新しい価値観、つまり新しい「手札」を手に入れる必要があったのだ。


新しい手札を手に入れるための4つのステップ

では、どうすれば自分では認識しづらい「生き方の手札」を増やしていけるのか。浅い客観視ではなく、人生をより良くするためのアプローチが必要だ。

  1. 知る:他人の「手札」を観察する
    まずは、本や人との対話を通じて、自分が知らない多様な生き方(手札)が存在することを知る。自分の常識がいかに狭い世界のものだったかを痛感することが出発点だ。

  2. 疑う:自分の「手札」を仮説する
    次に、「自分はどんな手札を持っているだろうか?」と自問する。「自分は〇〇を重視する生き方をしている」「自分は△△な場面で□□しがちだ」というように、自分の行動パターンを仮説として立ててみる。

  3. 見つめる:自分の「理想」を言語化する
    自分が何に幸せを感じ、何を人生の目標としたいのかを深く考える。「どんな生き方に憧れるか」「どんな状態が理想か」を言語化することで、これから集めるべき手札の方向性が定まる。

  4. 試す:新しい「手札」を使ってみる
    準備ができたら、日常の中で意識的に新しい行動を試してみる。憧れの人の生き方を真似てみる。今までなら絶対に選ばなかった選択肢を、一度だけでいいから選んでみる。

このサイクルを繰り返すことで、自分の「常識」という名の呪いを解き、人生の目標達成に近づくための最適な手札を見つけ出し、増やしていくことができるはずだ。


おわりに

「20代で受け入れられた概念・人格・生き方が、その後の価値観を固定する」という仮説から、これからの生き方を考えてみた。

価値観の固定化は、脳の仕組み上、ある程度は避けられないのかもしれない。しかし、それが悪い形で人生に影響を及ぼさないように、戦略的に対策することはできる。その戦略こそが、意識的に「人生の手札」を増やし続けることだ。

長年「起業したい」と言い続けている私自身、まさに「失敗が怖い」という手札に縛られ、新しい一歩を踏み出せないでいる。この記事を書きながら、まずは自分がどんな常識に囚われているのかを自覚することから始めなければならないと、改めて痛感している。これは、あなたへ向けた手紙であり、同時に私自身への檄文でもあるのだ。
























本当のおわりに

2024年の年末に大学の友達に会ったとき、彼が「人間は20代に見聞きしたものしか受け入れられなくなる」といった話で弱気になっていたのが気になっていました。大事な友達が悩んでいるその定説について、個人的に思うことがあったので勢いで殴って放置した文章があったのですが、それをGemini 2.5 Proに投げてブログ化してもらったのが今回です。

一部手を加えていますが、自分よりもいい文書でまとめてくれるのでちょっと嫉妬してしまいますね。
ではまた。


(参考)Geminiに投げたプロンプト

あなたは電子工作やエッセイ、思想共有に特化したブログ評論家で、読者にとって読みやすく理解しやすく、かつ固い内容でも楽しめるような文章へと添削する専門家です。
以下の文章は「人生は20代で決まる」という書籍にある「価値観やパーソナリティは20代でほぼ固定され、その後は変わりにくくなる」という内容をもとに、視座を拡張して述べた文章です。
文章はだ・である調で書いてください。仮タイトルは「手札を増やして30代以降の価値観の固定を防ぐ」なので、その結論に至るように文章をmarkdownで作成してください。
人生の手札を増やす というワードに好感を覚えているので、それはトピックとして必ず盛り込んでください。

長すぎて途中までしか出力できない場合は、(続く)と最後に付与してください。

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## はじめに
- 『人生は20代で決まる』という書籍をベースに「20代に見聞きしたものしか受け入れられない」という価値観の固定化の定説がある。
年末に会った友達が、この定説をもとに「趣味がない」とか「新しい音楽に興味を持てない」だとか将来への不安に悩んでいたので、それを1つの仮説をベースにした考え方で解消したい。

一般的にこの固定される価値観は、20代までに触れた具体的なジャンルや行為(ジャンル:jpop/洋楽など, 行為:楽器趣味/スポーツなど)のようなことをだと捉えられていそうだ。
それに対し私は、20代までに受け入れられた「概念・人格・生き方」が固定化される価値観なのではないかと仮定する。  
(そうなった場合より事態は深刻だ)

## 固定化の例
- **概念**の例でいうと、「自宅内非対面でものごとを進めることにより様々な業務改善が図れる」という意見や、「オンラインで人生を変えうる運命の人に出会える」「ボカロ/ペットロボット/xxワクチン/タイパ...」というようなことに似ている。
- **人格**の例でいうと、「嘘や不正による利己的な行為しかできない人を許容できない」、「嫌いな相手の人格否定をすることを一切いとわない」「周囲の人の喜びが自分の喜びだ」みたいなことを想定している(うまく生き方との差分を表せない...)。
- **生き方**の例でいうと、「やりたいこと全部やる!大学院飛び級したから空いた時間で調理師免許とったり、医工学に関係ない仕事する!」という生き方や、「行きたい会社に入るためだったら、SPIを別の得意な人にやってもらってもいいよね」な生き方、「何よりも精神の安定を取り、会社での出世を望まず浪費を避けて1人で生きる」という生き方など。20代で嫌い/好きだった人を、今後数十年かけたとして許容できるようになるとは思えないが、全く知らない生き方に遭遇したり、嫌いな生き方の人でも様々な面で捉えることで認識を変えられるかもしれない。


## 固定化しないために
### 新しい概念を受け入れる
これは20代以前に類似の経験・許容を多くしていかない限り、年を取ってからから凝り固まった考えになりやすくなるのではないか。ただし、実際に体験してみることで、意外と受け入れられることのように思える。

### 新しい人格を受け入れる
これは年を重ねるたびに、そういった人が沢山いると知って慣れに繋がったり、似た生き方を自身が偶然取ったときに認識が変わったりするなどがありえそうだ。20代で多くの人に出会うことがこの許容の狭まりを抑えるための行動と言える。年を重ねるにつれて新しい人格と触れ合う機会が必然的に増えるため、ある程度簡単に柔軟に変えていける価値観だと考えている。

### 新しい生き方を受け入れる
- 様々な生き方を許容していくことについて、一番懸念したいことが「自分の生き方」は理解しづらく変えづらいことである。今、20代ですら自分の生き方は変えづらいと感じているのだから、30代以降はより難しくなるに違いない。20代までに獲得してきた「生き方の手札」のみで今後数十年を生きていく必要があるかもしれないのだ。
- 持ち続ける手札によっては、人生を良いほうにも悪いほうにもスケールさせてしまう。アインシュタインが「複利は人生最大の発明だ」という言葉を残したが、その絶大な複利の効果はもちろんマイナスにも働きうる。
  - ネガティブな影響がある手札
    - 「形からでもとりあえず試す → 数うちゃの考えがそのまま永遠に続く」
    - 「業務を終わらせる手段は残業のみ → おじさん体力になり業務が終わらない」
    - 「いかに大事なものでも貧乏性を発揮する → パートナーとの時間をお金で買えない」
    - 「聞きなれないジャンルの音楽が流れたらすぐに飛ばす → 好きな音楽の幅が広がらない」
  - ポジティブな影響がある手札
    - 「形からでもとりあえず試し、新しい友達に状況共有する → 監視がいるので取り組みが続きやすい」
    - 「業務を終わらせる手段は効率化 → 効率化経験の蓄積で業務がどんどん楽に」
    - 「貧乏性の閾値と判断軸を設ける → 大切をお金で買える」
    - 「聞きなれないジャンルの音楽は5回繰り返し聞いてみる → 好きな音楽の幅が広がりうる」
- 生き方を間違うことでの複利の悪影響を避けるために「生き方の手札」を増やしてよいものを残したいが、そのためにはたった一度でもいいから自分の生き方の枠をはみ出して新しい経験することが有効だろう。では、自分がまだ持っていない「新しい生き方の手札」をどう選んで増やしていけばよいか。ここにも、「自分に不足している手札は存在すら認知しづらい」という難点がある。まず、前提として他人の生き方は認識・観察・理解しやすい。自分に得があるように・不用意な被害を避けて生活するためには、周囲の人間の行動予測ができるかが関わってくるので、無意識的に他人の生き方を観察している。社会性のある生き物の進化過程で、他人がどんな生き方をしているかは簡単に見抜くことができる。
- それに対し、自分自身の生き方を把握するには、非常に集中した状態で自分を客観視する必要がある。世間では客観視が簡単なスキルのように扱われているが、それはあくまで「場面と自分の行動を事実として捉え、その人が持つ常識と合致する行動かを論理的に捉える」までを指しているだろう。この点において、もし「常識と思っていたものが実は偏見である状態」で見てしまえば、その客観視の解釈は大間違いとなってしまう。自分の人生の手札を認識するためには、まず自分の常識を疑うことをしなければならない。しかし常識にあらがうことは現状維持バイアスが働くため困難であり、その結果、自分を雑に見直すことでは新たな生き方を発見できることは稀である。
- 要するに浅い客観視では、自分の生き方の認識に不足や異常があったとしても気づきづらい。自己理解のための客観視をするならば「事実や課題に対し、自分の常識との照らし合わせをすること」ではなく、「事実や課題に対し、人生で最大化したい目標に向けて、今までに見聞きした全ての生き方の中でも最も使いたい手札を選ぶこと」というアプローチがよさそうに思う。過去に見聞きしたモノにそのヒントは隠されているはずだし、たとえ常識・手札を勘違いしていたとしても試行錯誤の仮定で人生の目標へと近づいていけるからだ。
- これをするためには、他人の生き方・自分の生き方だけでなく、自分の報酬体系や理想を認識していなければ始められない。
  - 人との対面や本で他人の生き方を知ること。
  - 自分がどんな生き方の手札を持っているか仮説すること。
  - 自分が何に対して幸福感を覚えるか、どんな優先度で考えるかを仮説すること。
  - 自分がどんな生き方に憧れるかを仮説すること。
- この事前準備ができたら、じっくり時間をかけて日常的に客観視を繰り返し、実践に移してみる。ときに仮説を微修正しながら、自己理解を深める。こうすることで、新たな「生き方の手札」を見つけ出し、それを増やすアプローチを取れるようになるのでは無いだろうか。

- ※ ずれた常識で最適な生き方に気づけない例
  - 今まで牛肉すら1年に数回しか買わなかった貧乏性のTくんが、初めてできた彼女とどこに行くかを考えている。目的は記念日のデートにて、良いディナーの思い出を作ること。Tくんは、今でこそ人より多くの給料をもらっているが、学生時代の節約癖が抜けず「貧乏性なぐらいのほうがいい」とさえ思っている。外食に行って2500円以上の会計をするたび、内心「ずいぶん金持ちになったものだ...」などと考えるような人間だ。
  - そんなTくんが彼女との記念日デートのディナーとして導き出した答えは、5000円のしゃぶしゃぶチェーン店である。人生で最も高額だった外食費10000円/1人を比較対象に、「引かれず奢られても気負わないくらい」の額を常識的に考慮した結果だった。このデートの数週間後、Tくんは別れたいと告げられ、初彼女と楽しい日々は100均のラップのように短く薄く終わっていった。
  - 本来であれば、綺麗な夜景が見える2万円を越えるディナーが、彼女にとってもTくんの願望を最大限に満たす答えだった。Tくんが出会った中で、一番女性扱いがうまいY先輩ならそうしていた。ただTくんがその答えにたどり着くには、パートナーと過ごす時間が節約を無視できるほどに重要だとまだ知らなかったことと、5000円のディナーが高価であるという常識のずれに気づく必要があった。

## おわりに
仮定:20代までに受け入れられた「概念・人格・生き方」が固定化される価値観なのではないか  

仮説をベースに、残り少ない20代をどうやって生きるべきかを考えた。  
20代で価値観の固定化をすることは脳の仕組み的に避けられないが、将来それが尾を引かないように鈍化するような方向で戦略的に対策することはできるかもしれない。

20歳くらいから、ずっと起業をしたいと再三繰り返している私だが、まさに人生の手札をビビッて増やせない状況だと言ってよい。  
これには何か踏み出せないボトルネックがあると考えたいが、自分がどんな常識を持っているかすらまだ自認できていない。